こんにちは!きらくる村のかっちんです😄
今回はきらくる村の取り組みのひとつ、『きらくる村の寺子屋』について。
きらくる村を作った理由の一つに「村のようなところで子育てをしたい」という思いがあります。
なぜ『村で子育て』なのかというと、顔見知りの信頼できる人たちで構成されている小さな規模のコミュニティに、子育ちの可能性をとても感じていたからです。
いろいろな暮らしを営む大人やこどもがいて、そのひとたちと日常的に接する中で、その人の“生き方”だったり“暮らしの知恵”だったり“これまでの生き様”を感じたりすることが、まさにこどもの教育そのものになるだろうし、生きる道の選択肢を広げていくように思っています。
現代は核家族化に伴い、子どもがいろいろな大人の背中を見る機会が少なすぎる。。。
我が家は、親だけの常識や価値観の押し付けがこどもの視野を狭め、本来は無限にある選択肢を減らしてしまうのではないかと心配しました。
さらに教育機関にこどもの教育を丸投げして、教科書やドリルの山から、はたして生きることに喜びを見出したり、大人になることを楽しみに思いながら成長していけるのか?
(教科書のなかもたくさんありがたい知識が詰まっていて、学校というコミュニティもとても大切な出会いや触れ合いがあるとも思っていますが、学校が悩みで心を病んだり、将来への希望を見失いがちなこどもたちが多いことも事実としてあります)
そんなトコロに違和感や不安をおぼえる大人たちが集まり、「じゃあ本来こどもたちに何を伝え残していきたいか?」ということと向き合い行動していくコミュニティでありたいなぁと思うのです。
心震える感動体験や、わくわくした気持ちこそが『生きる原動力』や『生きる喜び』だと思っているきらくる村として、
自身がわくわくすること、楽しいと思っていることをこどもたちや周りの人に伝え分かち合いたい。
そんなわけで、気軽に誰もが師匠になって、
大好きすぎて、気づいたら深まっていた知識や、好きが高じて得意になってしまった趣味などを、求める人に喜び分かち合ったり伝授していくのはどうだろう、と。
室町〜江戸時代あたりに、“生活に役立つ学び”を提供していく教育施設として『寺子屋』が各地域に庶民の力で作られ盛んだったそうですが、いまになって、そういった小さな学びの居場所づくりが見直されています。
きらくる村も、『寺子屋』のような、暮らしに沿った学び場は、教科書のなかの学びでは伝えきれない大切なものを伝えられるのでは、と希望を感じ、
大人がこどもたちに伝えたい想いや生きる楽しみを提供していく機会を作っています。
先日村人の、元獣医さんで今は小さなお子さんを持つお母さんが「せっかくきらくる村には鶏がいるから」と大人にもこどもにも、鶏の生態を通して命の授業をしてくれました。
スーパーに並ぶ卵は、まるで工場で生産されるモノのようにいつでもキレイに陳列されて、その卵は“感情や痛みを持つ生き物”から生まれた“命のもと”だという意識を持つ人が少なくなっているかもしれません。
『工場家畜』という形態からスーパーの卵は作り出されてる。
生産の道具のように扱われてしまっている鶏さんたちの現状や、本来の鶏がどんな生き物で、どんな仕組みで命を生み出し、それがどんなに尊いことか、ふだん考えたり知ることはあまりありません。
獣医さんだったそのお母さんは、動物の生態が神秘に溢れていることに自身が心から感動し、好奇心が掻き立てられるからこそ、学びたくて学びその仕事に就いたという背景があり、そんな人の熱量はやはり聞く者にきちんと伝わるから不思議です。
命のすばらしさと感動をこどもたちに伝えたい、という想いが話の節々から伝わってきました😊
そして、生き物を愛でる気持ちをいつも持っているひとだから、その優しさが鶏やこどもたちを見つめる眼差しに溢れている✨
こどもは、相手の雰囲気やエネルギーを純粋に、繊細に、受け取ります。
だから、“命”に優しい眼差しを向けられる人に触れてもらいたいと心底思います。
平飼いの有精卵のたまごをお話の途中でこどもに割ってもらい、
ひよこのからだの元となる『胚』の見つけ方を教えてもらったり、
鳥や他の動物、人間の生態は違えど、生まれる前の姿はヒトも動物も同じように尻尾のようなものがあったとか、
鶏さんには世界はどんなふうに見えているかなど、大人も知らない知識をこどもも大人も興味津々で聞かせてもらいました!
お話を聞いたらすぐに実際の鶏さんを改めて観察してみたくなります。
みんなで鶏小屋に向かい、鶏さんを抱っこしてみたり、怖い人はちょこっと羽を触ってみたり🐔
触ってみると思ったよりふわふわ、あたたかい、かわいい、という感想続出。
チキントラクターの中で草をついばむ姿をみんなで観察し、これまでよりも鶏が近い存在に思えるようになったと思います😊
そんな“愛らしい尊い生き物”から生まれる卵や、そのものの命を普段いただいてる私たち。
こどもたちは、今回のことで何を受け取ったでしょう。
そこに答えがなくても、今すぐに何か結果が見えなくても、きっとこうした生身の体験や、人の想いが乗った話は深く心に届いて、後々の生き方に影響を与えていくんだと思っています。