村で子育てしたいハセガワ家の挑戦

遊暮働学きらくる村、

なんで名前に「村」をつけたのか。

 

昔話に出てくるような、のどかな『村』みたいな場所で

色んなひとと子育てがしたい

 

ということもコミュニティづくりの大きな動機になっていて、

 

目指したい形でもあるので「村」って名前にしちゃいました。

 

 

 

村みたいなコミュニティってどんなイメージ?

 

 

 

 

私の中の【村】のイメージのひとつはこんな感じです。

 

赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまでの色んな世代の人が

それぞれのペースで

それぞれの生き方を持って

それぞれにそこ(村)で暮らしている。

 

なんとなく周りの人の息遣いがそこらへんで感じられて

 

 

 

「あそこに行けば勉強教えてくれる兄ちゃんが住んでいる」とか

「あそこに行けば昔の様子をやさしく語ってくれるおばあちゃんがいる」とか

「お母さんが用事のときは隣のおばさんの家に行ってごはんを食べるんだ」とかって、

 

現代のなんでもスマホに訪ねて知識を得られるのと同じように

当たり前のようにそこら近所の人に聞いたり頼ったり頼ってもらえる。

 

 

こどもは家族の枠を超えてみんなで育てる。

みんなで支えあって補い合って暮らしてる。

 

みんなが「孤独」になることがない、みんなの居場所

 

……

 

 

 

 

いま私は町の住宅街をメインに住んでいて、そこは建物はひしめき合ってて

環境的なものはなにもそれと変わらない気がするけど

 

 

 

 

お隣さん、ご近所との「心の距離」は縮めにくい。

 

だいぶん田舎な方だとは思うけど、それでもそう感じる。

 

忙しいライフスタイル、モノや立派な建物に囲まれた暮らしでは

 

どうしても困り感や孤独感は
それらに遮られて外に伝わりにくい。。。

 

 

そこを突破して

【助けて!教えて!一緒にいて!】って、声を出していくか

人の集っているところに自ら入っていくことで繋がることができるかもしれないけど

 

なんか、わざわざ覚悟を決めて緊張と闘いながら

 

「よし、がんばって声かけるぞ!」って集まるんじゃなくて

 

もっとこう、きらくに

 

暮らしてるなかで息をするように当たり前のように、集まれないかなぁっていうのが

 

【遊暮働学きらくる村】のテーマでもあったりします。

 

 

 

 

それは自分自身のテーマでもあります。

 

 

いかにこのコミュニティを『ふだんの暮らし』の一環にしていくか、

というところが

私たちの外せないポイント。

 

 

ハセガワ家は自分たち自身の暮らしはやっぱり『遊暮働学』のスタイルを目指したい。

 

畑を作り、必要最低限のプレハブ小屋で暮らす。

その場所がみんなにとっても心地よい居場所になるように共同で利用できる拠点を創る。

 

それを我が家の遊暮働学の『働』の部分のひとつとして、

この場所に来てもらうかたからは会費をいただくことにする。

 

 

 

自分たちの心の真ん中のさらにまんなかの声にしたがい、

暮らし自体が遊びであり学びであり仕事となるように。

 

 

みんながきらくに来るために、

いかに自分たちがこの場所できらくに人を迎えられる環境にしていくか、

そしてお金を受け取ることへの苦手意識をどう拭って

どう感謝の循環につなげていくか

きらくる村1年目は試行錯誤の連続です。

 

 

 

 

いかにほんとの自分を自分の殻から出してあげるか

 

いかに型にはまったプライドや、持っていても仕方ない固定観念とかを手放して

氣を楽に、いろんな人に頼りいろんな人を愛し、心と心の距離を縮めた暮らしに

していけるかの、ワクワクミッション!