ひとりのこどもを育てるのには1つの村が必要

 

きらくる村は、それぞれの自宅から拠点に集う『通いの村』

 

コンセプトが『村』だから、年齢性別関係なく集い、暮らしの一コマを共有する。

 

↑大人もこどもも、やりたい人がやりたい時にやる。畑も自主的に手伝いたい子たちが。

 

 

こどもたちも、年齢や住む場所がそれぞれでも、ここに来るとなんとなく関わりを持ちはじめ、大人がどうのこうの介入しなくても上手く調和していくのがすごいなぁと感じています✨

 

 

 

ここでのこどもたちは、変に比較して劣等感を持ったり、むやみに否定し排除しあったりすることがないように思います。

 

 

もしちょっと悲しいことがあっても、親のもとに戻ってきて元氣をチャージしてみたり、優しい大人に声をかけてもらって氣持ちを取り直したりして、その子のタイミングでこどもたちの輪に戻っていきます。

 

↑バレリーナの村のお姉ちゃんの開脚に乗っかる村の男の子(姉弟じゃないよ♪)

奥では自分の親じゃないご夫婦に遊んでもらってる子たち。血縁関係なくみんなまぜこぜ

 

 

その傍ら、輪に入らずひとりの時間を持つ子もいますが、それをまたとやかく言う人もいないから、それが『自分のペース、自分のあり方』ということを自分で肯定し落とし込める場だとも感じています。

 

↑みんなが料理していても自分は草取りがしたい、と輪から出て好きにしている子。

本当にそうしたいと思うことしかしていないから、楽しそうです。

 

 

安心感は、いつか外に出ていく力になるから、きらくる村の『どの大人も優しく見守っていてくれる』という安心感が、どれだけこどもたちの成長にとって大切なベースになっていることか。

 

 

ここにいる大人たちは、似た価値観を持ち、お互いに「傷つけない」ことを大切にした優しい人たち。

 

学校や社会が全てだとか『これが正しい』と決めつけない大人たち。

 

『正しさ』より、なにが大切なのかをわかっている大人がたくさんいる。

 

 

いろんな枠に押し込められそうになったとき、こどもは無意識に「なんかちがう」っていう自分の中のズレを感じるから苦しいのだと思う。

 

学校がつらくなってきたとか、親子で折り合いがつかないとか、そのときの違和感は『自分はもっとこうしたい』というその子らしさが内側から発せられてるとき。

 

「なんかちがう」という違和感に蓋をして放って置いたら、あとからどんどん膨らみ、人生に影を落とすことになる。。。

 

『学校や社会、親の価値観だけが正解なのではない』

 

ということを、いろんな大人で伝え、違和感に寄り添えるサポートをしていけたら、誰かが作った窮屈な枠と直面したときも、こどもは回避したり柔軟に受け止めることもできるようになる。

 

 

年齢も、生き様も色々な人が集まる場が、こどもたちの生き方の選択肢を広げ、学びそのものになると思っています。

 

きらくる村は、そういう場所になっていると感じています。

 

アフリカのことわざ「ひとりのこどもを育てるのには1つの村が必要」は、私の座右の銘のひとつです🍀

 

遊暮働学きらくる村 かっちん